泡沫の記憶を辿って

すきなものを好きなだけ、思いのままに綴っていきます

少しのあいだ過去に浸ってみよう~檸檬堂と共に~

会社員を辞めてから、はや3カ月経とうとしている。

いまの生活と言うと、7月から保育園の補助のアルバイトを始めた。元々、保育の現場に興味があったことに加え、母の友人にお声がけ頂き、ある意味成り行きで社会復帰した。

朝は7時半~9時、夕方16~18時の平日5日間。

朝は少なくとも6時に起きる生活なのだから、会社員時代よりもより生活リズムが整っている。小学生の頃から周りと比べても夜型の自覚がある人間からすれば、それはそれはなかなかハードルの高いことだ。極めつけに、車通勤という精神的プレッシャーが目覚めと共に引き起こされるので、感情の波は0以上にしておかないといけない。

(電車の通勤の間は、私も含めだが、感情の波0以下に見える人がいかに多いことか、、、。)

 

保育のアルバイトって…?資格は?と思われるかと思うのだが、私は正真正銘、商学部卒業なので無資格である。だが、保育園によっては、時間外保育と呼ばれる朝早い時間と夜遅くの時間は無資格の先生でもオッケーなのだ。

ちなみに、男女雇用機会均等法働き方改革という世の流れも相まって、正規の保育士不足はもちろんの事、時間外に安心して預けられるおばあちゃん家的なお世話係も世の中に求められているニーズなのだと分かったこの頃である。

 

私個人の気持ちとしては、本当に楽しい。現場は楽しい。人に興味があるから余計に1~5歳位の子供達の成長は見ていて飽きない。子供の素直さが自分を人間に取り戻してくれる感覚さえある。

(パソコンに向き合って、マンションの住民の為によりよい住環境を考えても会社の利益云々…等で、お客と会社の板挟みになる関係、よりかは、ずっと精神的に良い。)

そして、何よりも保育の現場や教育の現場の大事さをより実感する。

完璧な人間なんていない、と分かっている一方で、自分にも他人にも完璧を求めてしまうからこそ、先生でいることの精神状態は素晴らしいものだなと思う。教育のプロってすごい。

 

 

そんなこんなで。最近はとにかく断捨離と音楽に向き合っています。

断捨離は文字どおりで、メルカリにジャニーズのグッズや、洋服、本等をひたすら出品している感じです。つい昨日、幼稚園の年長くらいにやっていた、バレエのレオタードが出てきて、百一匹ワンちゃんの題目でステージに立ったことあるなぁとか懐古してました。

音楽と言うのは、ピアノを再開した事と、アコギギターをかっこよく弾けるように練習しているという事です。

ピアノに関しては、幼稚園の頃から高校生までやっていましたが、受験勉強を期に忙しさから手を付けなくなり、実家に戻った今だからこそピアノを再開しようと思って指練習であるハノンを弾いたら指がガチガチになってショックになったので再開しました。それから、アイナナにハマってから、楽曲の耳コピがしたくなったので、もう一回クラシックピアノも復習しようと思って週4回位弾いている感じです。

今になって、音楽理論を教えてくれたり、クラシックコンサートにも何度も連れて行ってくれたり、ローズヒップティーを飲みながらクラシックの奥深さを教えてくれていた先生との時間が、人生のスパイスになっていたのだと実感しています。人生で大切な人ってこういう時に気づくものなんですね。

 

ギターはと言うと、実は大学時代軽音サークルにいまして、かれこれ最初に初心者用の赤のエレキギターを買ってから早8年位経つんですね~。そこから、社会人の初任給でちょいとお高めのアコギを買いまして、さすがにFの壁とやらはとっくに超えていましたが、綺麗なアルペジオやアレンジをすることが出来なく、『Nakamura Emi』さんの『YAMABIKO』をかっこよく弾き語りすることを目標に日々左手を痛めつけている次第です(笑)

これって私だけなのか分からないのですが、ギター練習を終わった後の指先がじんじんしているときほど、ちょっとした幸福感を感じることは無いなって思います。

 

さて、檸檬堂はとっくに空っぽになってしまいましたが、檸檬サワーのようにシュワシュワして甘く時にちょっぴり痛さを感じるくらいで生きている最近のお話でした。

次回はもう少し檸檬サワーの度数をあげられるように推敲したいと思います(笑)

檸檬堂 塩レモン 缶 [ チューハイ 350ml×24本 ]