泡沫の記憶を辿って

すきなものを好きなだけ、思いのままに綴っていきます

28年目の抱負

2024年になり、能登半島での大地震羽田空港での衝突火災等、落ちつかない日々を過ごされているかと思います。自分が今できることは少ないですが、状況がある程度落ち着いたら、大好きな石川や富山等の北陸の地に旅行をしたり、時間が取れればボランティアに参加したりしようと思っています。それまでは古巣であるジャニーズが設置してくれた募金箱に寄付して、いち早く元の生活に戻れるように遠くから祈っています。

 

今回は、新年早々に迎えた28歳に対する抱負を書き留めて置きたいと思います。

まずは27歳の振り返りから。

◇はっきり系

①4月から新しい職場、且つ正職員として社会復帰するのに慣れる

⇒概ね5月頃には完全に社会復帰できた

②上記の生活に慣れたうえで、正職員としての保育士の仕事を・役割等を見て学ぶ

⇒概ねできた

③2023年夏頃を目途に同棲生活を開始できるように準備

⇒話し合った結果、今のところ半同棲をし、同棲や結婚に向けた資金を貯金する方向で準備することになった

④ボールペン字を続ける

⇒教室に行く時間が取れずに断念(4月)

⑤健康のため食の栄養バランスの意識と、それに伴って簡単にできることから自炊(レパートリーを増やす)

⇒栄養バランスを意識せずとも栄養の取れた給食が出てきて有難い

⑥習い事をする(◎華道、〇日舞、茶道あたり)

⇒何もできていない

 

◇ぼんやり系

①イライラして、しんどくなると思うけど、仙人の気持ちで、マインドフルネスを心掛ける(新しい環境、同棲、人とのストレスが多くなるため、自分の心の健康を第一に)

⇒電車の中でマインドフルネスをしているが、時々仕事を休む等の休息を取らないと前に進めないこともある

②応援している人が出ている舞台でも、興味のない題材だったら行かないという選択肢をする強い気持ちをもつ

③逆に、上記で浮いたお金を興味のある題材の舞台や、ライブ、その他エンタメに使う

⇒2023年は自分が納得していきたい舞台やイベントに行くことができ、また一つ視野が広がった

④エンタメに没頭できる時間を確保する(プライベート時間の確保)

⇒必然と仕事柄、残業が少ない為、仕事終わりに舞台に行くことができてよかった

⑤ソシャゲに使う時間を少し減らす(アイナナは基本イベを走る、まほやくは金ビラまで取れなくても落ち込まない、えすりは推しキャラであればSSR獲得まではがんばる、ヒプはシブヤと左馬刻の報酬だけ完凸)

⇒最近ソシャゲの熱量が下がっており、刀らぶ、えすり>まほやく、アイナナ、ヒプの順でやっていることが多い。どのソシャゲもイベを回収しきることが少なくなったが、何も感じない身体になってきた。

⑥美容の観点で、もう少し自分磨きを意識する(お金のかからない方法で自分にあう美白やツヤを研究)

⇒全くできていないが、酒の量を調整している

⑦ワインの知識を増やす(毎年思っているけどなかなか身にならない)

⇒これもできていない。辛口の赤が好きなことだけ共通している

⑧自分が好きだなと思う、お気に入りなお酒の引き出しを増やす

⇒何となく、共通して苦味が強めの辛口と言われる類のものが好きな傾向ということだけは分かった

 

上記をふまえて、28年目の抱負。

■夢中になれるものを見つける(自発的な趣味)

例えば、ジム通いでもいいし、ハンドメイドでもいいし、一つ目標を決めて継続させていくことが今年の最重要課題である。

■知識を増やす(子どもにまつわること、城、ワイン、紅茶)

■演劇やコンサート後に感想を書く

簡単でいいから、自分が何を感じ、何に触れたのか書き留めておく。(Xのアカウントとかで壁打ち作るか、ブログに簡単に綴るか…)

■ボディメイクをする

体力づくり、主に下半身痩せ、食事のバランスを継続

■美容に力を入れる

ホワイトニング、メイク、マツパ等

■整理整頓をする(写真データ、旅行先のパンフ)

■断捨離をする(洋服、段ボール整理)

■今までに行ったことのない地域に行く(1箇所)

特に行きたいところは、函館、島原。

 

自分がつまらない人間に思えて仕方ないから、そんなこと考える暇もないくらい夢中になれるものを見つけたいと思う。

そして、それはスマホやパソコン等といったデジタルとかけ離れたもので見つけたい。

 

 

あのときからずっと…5stars

まだ整理ができていない。おそらく河合郁人が脱退するという発表を聞いてから何も考えないようにしていた。えびは私の高校大学時代の青春だ。

思えば当時高校1年だった自分は、2012年2月11日に運命が変わった気がする。このときのABC座を見に行って、こんなにエンターテイナーな人たちは観たことないと衝撃を受けたのを覚えている。

キレのあるダンスはもちろんのこと、一人一人のダンスの中に個性がのってること。そして強みの一つであるアクロバットと曲やダンスの融合性。

今まで他のジャニーズで見たことがない劇場アイドルの崇高なパフォーマンスを目の当たりにしてハマらない選択肢は無かった。

そこから約11年が経った。

先日2023年12月17日に私が見た5人でのA.B.C-Zは最後の日となった。

この日は2012年のSUMMARYで最前列に一緒に入った河合担当の同い年の友達と、久しぶりに再開して私達の最後の日を共に観劇することが叶った。

私の中では前述した通り考えないようにしていたこともあり、まだこの日は実感が無く、ある意味呆然と客観的に5人を眺めていたのだが、担当である戸塚くんを通して河合さんを見ていると愛おしいなと感じる瞬間がたくさんあった。塚ちゃんの河合呼びの距離感も好きだし、はっしーの一歩下がってメンバーとファンを見ている感じもかわいい末っ子からかっこいい末っ子になったのだなとしみじみ感じたし、ごっちの変わらず強めないじりも最高だし、20パターンの関係性が素敵だなと思ったところだった。

そして、ふみとつの関係性にも終わりが来てしまうのは寂しかった。河合くんサイドの話はよくわからないのだが、戸塚くんサイドではJrのときから隣に河合くんがシンメでいてくれて、いろんな刺激をくれて、時に戸塚くんの考えていることを河合くんはわからないことのほうが多かったと思うけど、見放さずに分かろうとしてくれていて、素敵なシンメ関係だったなと思う。

(まあ戸塚くんも河合くんも性格的にどちらも複雑でめんどくさい人だから相性が良かったのかもしれない)

仲が良いだけでは上にはいけない。お互いを刺激し合って、認め合って、ぶつかっているからこそ成り立つ関係。えびの郁人じゃなくなるのもさみしいが、ふみとつが無くなってしまうのはもっと寂しい。

郁人はこんなに芸達者でこんなに劇場のスポットライトが似合う人なのにもったいないなという感情が強まっている。

だけど前を向いて自分の夢を叶えようとする脱進を決意した郁人も同時に応援したい。

ほかでもなく尊敬する戸塚くんが強い覚悟を決めて送りだしているのだから。

5人のえびを応援して、たくさんかっこいいパフォーマンスを見ることができて、本当に楽しかった。

人生にたくさんの彩りを与えてくれていた。

5人の見えない絆が大好きだった。

プロ意識の塊のような5人を尊敬していた。

ありがとう。だいすきな5人のA.B.C-Z

 

これから5人のフォーメーションダンスや、5rings等などの舞台装置はどうなっていくのかと非常に気になるところなのですが、今後の4人のA.B.C-Zのこと、河合さんのことも引き続きちゃんと見守っていきたいとおもいます。

 

27年目の抱負

世はあけましておめでとうございます、ですね。そして、私は本日27歳をむかえて、おたおめでございます。毎年、新年を明けるとすぐ誕生日なので、誕生日くらいまではお正月の余韻に浸っています。

 

27年間生きてきました。頑張っている、自分。ちゃんと人間として生きている。

今回は、備忘録として、自分への戒めとしても。メモ帳とか自分のスケジュール帳とかでなく、ブログに綴っておきます。

 

◇26歳振り返り

1年間会計年度職員で保育園のパートタイム勤務を継続中でした。収入は相変わらず少ないけれども、本来の心の豊かさを取り戻せた実感があったのと、都内ばりきゃり会社員時代の街や人と物理的に距離を取ることで、将来もろもろの焦りとかを殆ど感じなくなってきた点が良かったのではないかと思います。

 

それから、人生で初と言えば、信頼できるパートナーができたことです。(大学時代に1回カレカノはあったけど、数カ月で別れたのでノーカウント)

今まで、本当に恋愛の楽しさだったりを全くと言っていいほど知らなかったので、少しは恋愛ソングに共感できるようになってよかったなって思っています。だからと言って、そもそも恋愛脳では全くないので、会いたいと思うことは少ないけれど、隣にいて安心と思える存在なので、どちらかというと早くパートナーと家族になれたらいいなと願うばかりです。

 

27歳に向けての土台も着々と積み上げた一年でもありました。

正式に保育士として働くために、保育士資格取得に向け勉強、同時に公立保育園で勤務を希望していたため、公務員試験の勉強。

4月はコロナにかかってしまって保育士試験に受験できず、と言ったトラブルもありましたが、何とか公務員も内定をいただき、資格試験も筆記までは受かることができました。(現時点では実技の結果待ち)

 

◇27歳になって

よく『あの頃(13くらい)はいまの年齢の時には大人だと思ってた~』というけど、私はあの頃想像していたときにドンピシャで好きだった櫻井翔さんが売れ出した年齢くらいが今のわたしくらいなので、やはり翔くんは凄かったんだなってよく思っています。芸能人と比較すな、っていう話だけど、最近、織田信長とか歴史上の人物とかも、人間だったし、地球上に存在して、この日本の地にいたという意味では、ほんの時代が違うだけなんだな~って思ったりしてます。

ずっと応援していたことによって、自分の目標もレベルも少しでも上げられたので感謝しています。

やっぱり憧れたひとの生き方は、かっこいいものですね。

 

前置きはさておき、ピンとがはっきりしているもの、と、ぼやけているもの、の軸で27歳の抱負を書きます。

◇はっきり系

①4月から新しい職場、且つ正職員として社会復帰するのに慣れる

②上記の生活に慣れたうえで、正職員としての保育士の仕事を・役割等を見て学ぶ

③2023年夏頃を目途に同棲生活を開始できるように準備

④ボールペン字を続ける

⑤健康のため食の栄養バランスの意識と、それに伴って簡単にできることから自炊(レパートリーを増やす)

⑥習い事をする(◎華道、〇日舞、茶道あたり)

 

◇ぼんやり系

①イライラして、しんどくなると思うけど、仙人の気持ちで、マインドフルネスを心掛ける(新しい環境、同棲、人とのストレスが多くなるため、自分の心の健康を第一に)

②応援している人が出ている舞台でも、興味のない題材だったら行かないという選択肢をする強い気持ちをもつ

③逆に、上記で浮いたお金を興味のある題材の舞台や、ライブ、その他エンタメに使う

④エンタメに没頭できる時間を確保する(プライベート時間の確保)

⑤ソシャゲに使う時間を少し減らす(アイナナは基本イベを走る、まほやくは金ビラまで取れなくても落ち込まない、えすりは推しキャラであればSSR獲得まではがんばる、ヒプはシブヤと左馬刻の報酬だけ完凸)

⑥美容の観点で、もう少し自分磨きを意識する(お金のかからない方法で自分にあう美白やツヤを研究)

⑦ワインの知識を増やす(毎年思っているけどなかなか身にならない)

⑧自分が好きだなと思う、お気に入りなお酒の引き出しを増やす

 

現時点で思いつくことは以上です。

自分の性格上、とにかくやってみろ、ふれてみろ、です。

あまり深く考えず、なんとかなるで進んでいこうと思います。

27年目もよろしくな!社会!

少しのあいだ過去に浸ってみよう~檸檬堂と共に~

会社員を辞めてから、はや3カ月経とうとしている。

いまの生活と言うと、7月から保育園の補助のアルバイトを始めた。元々、保育の現場に興味があったことに加え、母の友人にお声がけ頂き、ある意味成り行きで社会復帰した。

朝は7時半~9時、夕方16~18時の平日5日間。

朝は少なくとも6時に起きる生活なのだから、会社員時代よりもより生活リズムが整っている。小学生の頃から周りと比べても夜型の自覚がある人間からすれば、それはそれはなかなかハードルの高いことだ。極めつけに、車通勤という精神的プレッシャーが目覚めと共に引き起こされるので、感情の波は0以上にしておかないといけない。

(電車の通勤の間は、私も含めだが、感情の波0以下に見える人がいかに多いことか、、、。)

 

保育のアルバイトって…?資格は?と思われるかと思うのだが、私は正真正銘、商学部卒業なので無資格である。だが、保育園によっては、時間外保育と呼ばれる朝早い時間と夜遅くの時間は無資格の先生でもオッケーなのだ。

ちなみに、男女雇用機会均等法働き方改革という世の流れも相まって、正規の保育士不足はもちろんの事、時間外に安心して預けられるおばあちゃん家的なお世話係も世の中に求められているニーズなのだと分かったこの頃である。

 

私個人の気持ちとしては、本当に楽しい。現場は楽しい。人に興味があるから余計に1~5歳位の子供達の成長は見ていて飽きない。子供の素直さが自分を人間に取り戻してくれる感覚さえある。

(パソコンに向き合って、マンションの住民の為によりよい住環境を考えても会社の利益云々…等で、お客と会社の板挟みになる関係、よりかは、ずっと精神的に良い。)

そして、何よりも保育の現場や教育の現場の大事さをより実感する。

完璧な人間なんていない、と分かっている一方で、自分にも他人にも完璧を求めてしまうからこそ、先生でいることの精神状態は素晴らしいものだなと思う。教育のプロってすごい。

 

 

そんなこんなで。最近はとにかく断捨離と音楽に向き合っています。

断捨離は文字どおりで、メルカリにジャニーズのグッズや、洋服、本等をひたすら出品している感じです。つい昨日、幼稚園の年長くらいにやっていた、バレエのレオタードが出てきて、百一匹ワンちゃんの題目でステージに立ったことあるなぁとか懐古してました。

音楽と言うのは、ピアノを再開した事と、アコギギターをかっこよく弾けるように練習しているという事です。

ピアノに関しては、幼稚園の頃から高校生までやっていましたが、受験勉強を期に忙しさから手を付けなくなり、実家に戻った今だからこそピアノを再開しようと思って指練習であるハノンを弾いたら指がガチガチになってショックになったので再開しました。それから、アイナナにハマってから、楽曲の耳コピがしたくなったので、もう一回クラシックピアノも復習しようと思って週4回位弾いている感じです。

今になって、音楽理論を教えてくれたり、クラシックコンサートにも何度も連れて行ってくれたり、ローズヒップティーを飲みながらクラシックの奥深さを教えてくれていた先生との時間が、人生のスパイスになっていたのだと実感しています。人生で大切な人ってこういう時に気づくものなんですね。

 

ギターはと言うと、実は大学時代軽音サークルにいまして、かれこれ最初に初心者用の赤のエレキギターを買ってから早8年位経つんですね~。そこから、社会人の初任給でちょいとお高めのアコギを買いまして、さすがにFの壁とやらはとっくに超えていましたが、綺麗なアルペジオやアレンジをすることが出来なく、『Nakamura Emi』さんの『YAMABIKO』をかっこよく弾き語りすることを目標に日々左手を痛めつけている次第です(笑)

これって私だけなのか分からないのですが、ギター練習を終わった後の指先がじんじんしているときほど、ちょっとした幸福感を感じることは無いなって思います。

 

さて、檸檬堂はとっくに空っぽになってしまいましたが、檸檬サワーのようにシュワシュワして甘く時にちょっぴり痛さを感じるくらいで生きている最近のお話でした。

次回はもう少し檸檬サワーの度数をあげられるように推敲したいと思います(笑)

檸檬堂 塩レモン 缶 [ チューハイ 350ml×24本 ]

NEWSの四部作完結を配信で見届けて。

アイドルは刹那だ。アイドルを応援できることも刹那だ。

だからこそ【今】に執着しつづける。そうしなければ、大事なものが自分の意思とは別にするりと消えていくものだから。

 

NEWSの文字の頭文字を取って、以下のタイトルでひとつずつの世界観を表したコンサートツアーが5月23日愛知公演を以て四部作完結した。

2017年『NEVERLAND』

2018年『EPOCOTIA』

2019年『WORLDISTA』

2020年⇒2021年『STORY』


www.youtube.com

 

長いようで短かった。そして、NEWSが作ってくれるコンサートの空間、世界観が好きなことに変わりはなかった。衣装、音響、照明、演出、その他諸々、丁寧で各箇所のこだわりが詰まったステージを届けてくれる、責任感のつよいチームNEWS、最高だ。

 

私が好きになった人は、学生の頃も今も変わらず尊敬できた。ああ、NEWSというチームを信じて、応援してきてよかった。そう思えた。23日の配信を見て。

 

時を戻すが、正直2020年6月19日で手越が居なくなった時から、実は約1年NEWSの活動を何となく気乗りしなくて見ていなかった。(自分も仕事で疲れていたのもあるが、)

最近はテレビ露出が増えた増田さんをテレビで見ることはできても、音楽番組でNEWSが出ても正直見逃しているときもあったほどだ。

私にとって、やはりテレビはテレビなのだ。

同じ血が通った人間なのだと分かる、温かくて沢山の愛が伝わるステージこそがNEWSに輝いていてほしい場所なのだ。

 

それを確信させてくれるステージだったと思う。

加藤さんの挨拶で「NEWSまだまだやれるっしょ?」って涙抑えながら興奮した顔で伝えてくれたことがNEWSの今までのSTORYを物語っていたとおもう。

 

さあ!NEWSの第3楽章をこれからはじめようか!

 

 

3年間務めた会社の送別品のふり幅でその人の人間性分かるよね、っていう話

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こんな夜更けにバナナでなく、みかんかよっていうはなし。

すみません、上記タイトルの映画は一切見ていないのですが、ただの夜中のテンションです。なんも意味ありません。ただ書きたかっただけです。今度きちんと見ます。

 

つい先日、脇役にまわりまわってこれじゃいかんと思い自分の中で主役と思ってやっていた仕事をやめました。(詳しくは、前回のブログを参照して頂けると嬉しいです。)

今回書きたかったことは、仕事をやめて感じたこと、ではなく、仕事場の人間関係を通して見えてきた、設定した自分のキャラを少しだけ路線変更しよう、と思ったはなしです。

 

以下、少しだけお時間ある方は斜め読みして頂ければと思います。

 

ざっくり話すと、前回のブログからの人生ゲームは下記のとおり。

・不動産投資会社担当物件の仕事で富山行き来の日々

・わいわい沖縄たび

スカイツリーが見える部屋で一人暮らし開始

宅建3回目 ⇒見事に落ちる(2019年10月)

・精神落ち着かせるため一旦休み、異動希望提出

ヒプノシスマイク・ステージ1(2.5次元舞台)

・弾丸!年末大阪遠征(阿部顕嵐さんゲスト出演の舞台のため)

・グループ内異動(不動産投資会社からマンション管理会社へ)(2020年1月~)

・初のバンジージャンプ

・コロナだが、前任者引継ぎのため仕事多忙期突入(2020年4月~2021年3月)

・ぶらり京都たび

宅建4回目の正直 ⇒今回は1点差で落ちたけど達成感はあった(2020年10月)

管理業務主任者、初受験 ⇒受かったけど正直どうでもよかった(2020年12月) 

精神安定剤としての島根・鳥取旅行

・7ORDERデビュー・久々の応援活動

ヒプノシスマイク・ステージ4(2.5次元舞台)

・やはり仕事がしんどすぎて精神崩壊しそうになる

・自由になることの決意

・ピンク色の髪&実家にもどる ←イマココ

要は、仕事と仕事の為の勉強で上手くいかず病んで、好きなことをして精神保っていたけど、コロナ化に突入したこともあり、好きなことと仕事のバランスが保てなくなり、仕事の比重が重すぎて仕事にエンジン掛け過ぎたらオーバーヒートした、と言う話です。

 

いまは冷却期間のため、自由にのびのび生きています。

最近はずっとやりたかったピンクヘアーにも、退職翌々日に約4時間かけてしました。厳密にいうと、いまはピンク要素が落ちてきて白金髪(この言葉があるかは定かじゃないですが…)のショートヘアです。GWからずっと家にいて断捨離&アイナナ(アイドリッシュセブン)生活をしているので、忘れた頃に鏡を見ると自分の髪色にびっくりします。(すでにピンク色から2週間経過…笑)

 

このタイミングで書くことにしたのは、物理的に『時間の余裕が出来たから』という事もありますが、マズローさん的に言うと、『社会的なつながりが欲しいと求めているから(自己承認欲求が分泌しだしたから)』だと個人的には思います。

はい、前置きが長い(笑) なにせ昔から脱線マンなので、、、

この感じ、飲みの席では通用するけど、仕事場だと気を付けるポイントなんですよね(笑) 

 

 

ここからが本題。

最後、赤ピンクのダリアをセンターとした花束に、ジョーマローンのキャンドル、パソコンからすぐコメントを送れる色紙、ジャンボうまい棒(40本入り)等を送別の品として頂きました。ふり幅がすごい

 

頂いた色紙のメッセージを通して、自分が思っている自分像と客観的な私像のギャップが良い意味で適度な距離を保っていることが分かりました。

ですが、そのギャップがまだまだ弱いと見えてきました。

具体的には、これまでの客観的な私像の主なところ。

『元気』『明るい』『笑顔』

この言葉、あらゆる場面で言われ続けた私の人生ですが、25年目のこれからも、上記の3ワードは変わらずに大切にしていきたい、と思っています。

 

一方で、何人かには私のことを『ぶっとんでる』『破天荒』と言ってくれるひともいました。凡人なりの私が人生に対してモヤモヤして思い切って会社員を辞めたけど、そのモヤモヤの一部分が少し分かり、おそらく人生ゲームとして一回は歩んでみたいのはこの方向性だろう、と少し分かってきました。 

今後の客観的な私像の目標としてランクインさせたいのは

『おもしろい』

お笑い的ではなく、人としての深みのあるおもしろさ。

一回アルバムを聞いてもしっくりこないときに、2回目に驚くように聞き入ってしまうおもしろさ。

 

このワードがランクインできるように、自分自身『おもしろく』『少し変わってて』『楽しそう』に人生ゲームをしていこうと思っています。

具体的な施策は、また整理できたら書くかもしれません。

 

ただ、今は、すこし一旦休み期間。

休んで視野を広げて、深く没頭して、また休んで、そうやってのらりくらり自由にしていきます。

 

ほら、また夜が明けてきましたね。

思いっきり脇役にまわってることに気づいた社会人2年目

同期が会社を辞めた。

 

たったそれだけのことだが、私にとっては大きい話だ。

その同期は、一番最初に配属された会社で同じ仕事をやっていた唯一の人だったから。

彼は、29人の同期の中でも東大という肩書をもつ秀才であり、周りからは一目置かれていた。それでいて一匹狼なところもあり、上司の飲み会も断る、意志の強いひとだった。

ただ同期の中で一目置かれていたとしても、私にとっては同じフィールド。

仕事で戦っていたからこそ、彼に対して嫉妬もしたし、本当は色んな悩みを共有したかったのに、私が特に意識してしまってなにも相談はできなかった。むしろ、心の距離を置いていってしまった。

そんな勤め始めて半年を経ったころ、彼は期間限定で異動することになり、結局1年近く違う部署にいて、そのあと戻ってくることなく次のフィールドに旅立った。

 

さっきまで話していた同期の彼、

私が想像するよりも、日常で起こりうる自分の感情を大切にしていた。

社会人になって2年目、

この会社でできる仕事、できない仕事、

自分がやりたい事、やりたくない事、

自分がどうなりたいか、なりたくないのか、

生きていれば常にそんな疑問が湧いてくる。

夜道で自問自答して、電車に乗っていれば外から見える自分を想像する。

“いまのわたしってたのしいですか?”

 

こういう疑問を、考えがちな私だけど、なるべく考えないように目の前のことに精一杯になっているフリをしていたのだが、彼はその疑問に対してきちんと見える化していた、のだと彼のブログで知った。

あっ、、、

ささいな感情を大切にすることを、いつの間にか忘れていた・・・

こんなにも感情を大事にしていきたい、と思っていた私が・・・

社会の波というやつに流されている、とそのときに知った。

そして、流されて生きてるのが、とてつもなくダサイと思った。

 

▼思い返してみれば、就活時(21歳)に綴った当時のブログ。
c7tm102.hatenablog.com

ところどころ関係のない部分もあるが、

文章の中盤以降で、 書いてあった。

 

自分が主役でなくてどうするの?

 

えっ・・・?社会人になる前の方が自分のこと分かってた。

社会人になって仕事を経験して知った、社会の波。

それに乗るか、潜るか、流されるか、止めるか。

 

今のまま流されていたら脇役のままだなと気づいた。

受け身でなく、乗るか、潜るか、止めるかで向かっていかないと、主役にはなれないなと。

就活時に描いていた自分と、今の自分。

間違いなくギャップがある。

もしかしたら、同期の彼はそれにいち早く気づいて動き出したのかもしれない。

 

私ももっと自分のことを大事にしよう。

自分の思いを大事にしよう。

自分にもっと正直に生きよう。

それで主役になろう。いや、主役になる。

 

 

これが、1年4カ月一緒に働いた同期から学んだ、大事なきもちだ。